セラピーのご感想をいただきました

先日、セラピーを受けて頂いた方よりご感想を頂きました。テーマは「理由は分からない不眠、なんとなく体調が悪い」ここからお話を伺いながら心の中をみていきました。ブログ掲載の許可のもとご紹介させて頂きます。

原因不明の心身の不調と不眠に不安を覚えてフェルトセンスタッピングを受けてみました。

穏やかな雰囲気の中、最近の状況や身体の感覚についてお話ししているうちに自分では全く気づかなかった事がセッション中にどんどん引き出されて、自分が持っていた”思い、ビリーフ”を知りました。

セッションでは他者に対する不満や怒り、自信のなさ、恐怖となっていた事が何度も何度も自分の言葉で繰り返されました。また、どうしても“思考”が優先的に出てきてしまい、それをよしこさんがうまく“感覚”や“感情”にアクセス出来るようにリードしてくださって、心の奥に埋まっていた思いが芋づる式に出た来ました。自分の心の奥にあった“思い”に気づくと自分が吐き出した言葉が腑に落ちる感覚が妙に心地よかったです。

不安や怒りは消えてとてもニュートラルな状態でセッションを終えることが出来ました。

自分の思いから身体症状が出ていたことも気づくと、セラピーを受けた後は心も身体も軽くなりました。

今は同じ状況に陥っても”本当は何も恐れることはないんだ”と不安になることが少なくなり、不思議と落ち着きを取り戻すことができるようになりました。本当に楽になりました。

また、このセッションをプロの手助けを借りる事によってより効果的にセラピーを進めることが出来るのだと、実感しました。 またもっと深く繋がっている”思い”をもっと知りたいと思うようになりました。

 

以上がクライアントさんのご感想です。

相手の行動や考えは誰のものでしょうか?私が何とかできることでしょうか?

きっとできないですよね?いえ、絶対に何もできないのです。

例えば、相手が怒った表情で話してきたとします。私の頭の中に「本当は相手がもっと親切な態度をとってくれたらいいのに」「相手はもっと穏やかに話すべきだ」「ひどい人だ」「私をばかにしている」「和を乱すひとだ」・・・いろいろな思いが浮かんで怒りがでてきます。

浮かんでくる思いは自然なことです。でも、もしこの思いが浮かんでこなかったらどうですか?ちょっと想像してみてください。どうでしょう?・・・・

もしこの「相手は親切な態度をとるべきだ」という思いが浮かんでこないとしたら、相手はただ話をしてきただけです。(相手が怒ったというのは私の解釈です)相手はただ話をしているだけだとしたら、怒りは出てこないのです。

この怒りを生み出しているのは自分の思い(相手はこうするべきだ、相手はこうあってはいけない)にあるのです。

現実には相手がどんな態度で話してこようと関係ありません。

苦しみを生み出しているのは自分の思いなのですからね。

現実に起きていることを変えようとしている自分の考えこそが自分を苦しめているのです。

相手の行動や考えに自分が介入することはできないのにもかかわらず。

でもこれは理解しようとしてもなかなかできません。なぜって思いには感情が伴うからです。

この感情をセラピーで解放していきます。そうなんです、頭での理解より体験のほうがよりパワフルで腑に落ちます。



スピーチ恐怖症⑤ 母親になって

母親になり子育ての忙しさの中で、自分が不安症だったことを時々忘れていました。
もしかして私は治ったのかな?と思うほどでした。
しかし、それは生活の中で何も刺激されるものがなかっただけで、心の深いところであの恐怖心は静かに封印されたままでした。
このまま人前に立つ機会などなく、ひっそりと生活していきたいと願っていました。たとえ自分のやりたいことが出来なくなっても、それでもいいからこの病気のことは誰にも知られずにいたいと思っていました。

ところが子育ての中で避けては通れないものがひとつありました。
それはPTAでした。毎年役員決めが難航するので立候補がない場合はくじ引きで選ばれます。私は何度か当たり役員になりました。
子供が最終学年の年、PTAの役員が卒業式あとの謝恩会の役員も兼ることが決まっていました。
その役員をくじ引きで決めることになり私はなんと式の司会を引いてしまったのです。ショックで全身が凍り付くように冷たくなりました。よりによって司会?「私に司会は無理です」と必死に訴えました。でももう決まったことだからという事になってしまったのです。司会は二人でやることになりました。
マイクを持って大勢の人の前に立ち話すなんてとても出来ません。マイクには思い出したくないトラウマになるような出来事がありました。
若い頃、友人の結婚式でスピーチを頼まれ、断りきれず引き受けたのです。
きっと緊張してしゃべれないと思っていたので、紙に書いたメモを読み上げようと思っていたのですが当日、司会の人に名前を呼ばれ立ち上がった瞬間、緊張して体がこわばり声が出なくなってしまったのです。
どうしよう・・どうしよう・・声が出ない・・ただただ焦るばかり。マイクを握りしめじっと下を見つめ固まってしまいました。あの小学一年生の授業と同じ感じでした。
何分間そうしていたのか分かりません。私にはその静まり返った時間がとても長く感じました。
司会の人が「ご友人も胸がいっぱいのご様子です。涙で言葉が出ないほどです。ありがとうございました。皆様大きな拍手を・・」と言って終わりました。私は涙も出ませんでした。
これがマイクを持つときのトラウマになってしまったのです。
そんな私が司会をするなんて・・本当にこの時はどうして良いのか分からなくなりました。

絶望の果てに私がとった行動は、話し方教室に通うことでした。
本やインターネットで調べ、スピーチや人前で話すことが上手になるコースを受講することにしたのです。
どきどきしながらその教室に行くと30人くらいの若い人が来ていました。
半分は仕事でプレゼンテーションの時にうまく話したいという人たちで、もう半分が人前に立つと震えたり、顔が赤くなるといった身体の症状が出るような人たちでした。
授業は主に、発音の仕方、呼吸法、リズムの取り方などテクニック的なものが多く、スピーチを人前でして慣れるといったものでした。
この方法は私には本当に合わない練習でした。
おそらく身体症状に出ている人たちにも合わなかったように思います。
なぜなら、いくら人前で話す訓練を積んでも人前が怖いと思っている限り、うまくしゃべれないからです。プレゼンがうまくなりたい人にとってこの訓練は有効ですが、震えたり、私のように呼吸が苦しくなる人にとっては残酷な練習としか思えませんでした。
例えば、胃が痛いという症状が出ているとしたら、何が原因で胃が痛いのか調べます。それをしないで、ただ胃薬を飲んでもまた胃が痛くなるかもしれません。
人前で声が震えるという症状が出たら、発声練習をするのではなく、どうして声が震えるのかその原因をみていく必要があるのです。でもその時の私にはそれが分かりませんでしたし、なんとか症状を抑えたいという対処療法を選んでしまったのです。
毎回、震える人はガタガタと震え続け、顔が真っ赤になる人はそれを繰り返して辛そうでした。私は毎回、自分の番になると思うと予期不安が起こり体が氷のように冷たくなって、指名されると無表情でぼそぼそしゃべり先生に怒られました。
それでも最後まで続けました。
なんとかコースを終え、いよいよ謝恩会を迎えました。
謝恩会当日まで、お酒を飲んでしまおうか・・・と何度もこの思いが頭をよぎりました。でもそれはやめたのです。なんとか自分の力で乗り越えてみたいという気持ちもありましたし、あんなにつらい練習をしてきたのだからという意地もありました。不安症の人がアルコールに走りやすく依存しやすいと聞いたことがありますがその気持ちは良くわかります。
謝恩会はもう一人の司会の人に助けられ、なんとか無事に最後までできました。
マイクを持っても固まることなく話せました。
その時気が付いたのですが、大勢の人が私を見ていない舞台の袖で話すのはさほど緊張しないということでした。
私の怖さは、みんながこちらを見ている、声を聞いているということだったのです。
みんなが他の人を見ていたり、ざわざわした中でしゃべることは平気でした。

この経験は少しだけ私に自信をつけてくれました。あの時逃げずに引き受けてよかったと思いました。
そしてこの不安症は自分に向き合わないと、治らないということも分かりました。

この後、自分と向き合うまでにしばらく時間がかかりました。(つづく)

 

 

 

不安症 ②小学校

小学校へ入学してからは、幼稚園のころよりますます過酷な状況が私を待っていました。
幼稚園では誰かの後ろに隠れていたり、黙っていても先生が何とかしてくれていたのでどうにか過ごすことができましたが、小学校ではそんなことではすまされません。みんなの前で発言する機会が増え、周りの人たちと会話は当然要求されます。
私は授業が苦痛でなりませんでした。まず、先生が怖いのです。先生に見られていると思うと耐えられないのです。もちろん先生が私に何かしたわけでもありません。でもなぜか先生がとても怖くていつも下を向いて授業を受けていました。
そして授業中、先生にさされて答えると思うと恐怖で逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。不安症の人は常にこんなふうに怯えているので、勉強に身が入らないのです。当然、勉強のパフォーマンスが下がります。防御の方にエネルギーを使ってしまっているので疲れやすという特徴もあります。6歳の私はそのシーンを処刑されるようなイメージで覚えています。
不安症の人の怖いというイメージは人それぞれ違いますが、私の場合は殺されるようなイメージが強かったです。
いつものように下をむいて授業を受けていたある日、先生が私の名前を呼んで答えなさいと言いました。私は緊張して立ち上がりました。
そして次の瞬間、気を失ってしまったのです。
その後の記憶は全くありません。
その日、普通に自分で家に歩いて帰ったのでおそらくほんの一瞬の出来事だったのだと思います。
一学期中、何度か授業中にこのように意識を失いました。
そのフリーズ(凍結)は自分の身を守るための最大の防御だったと思います。
もうどうすることもできない処刑台の自分の状態のピークだったのです。
母が担任の先生に呼びだされ、もっと親子のコミュニケーションやスキンシップをすること、休みの日には家族でどこか遊びに行くよう言われたようでした。
先生は私が誰とも話さないのは、性格の問題と親との問題があると思ったようでした。
この時も、私が「話せない」と思っているのにみんなは「話さない」と思っているのがとても苦しかったです。
ある日、近所の仲良い友達の家に遊びに行ったことがありました。
家に友達がいると思い、玄関ではなく庭の方から、部屋の中をのぞいたとき友達のお母さんが急に顔を出したのです。私は驚いて言葉が出なくなりさっと逃げ出してしまったのです。
後日、母が友達のお母さんからその話を聞いて私に問いただしました。
「どうして何も言わなかったの!挨拶くらいできるでしょう。こそこそして・・」
あまりに母が怒鳴って怖いので真実を話せませんでした。
母はこんな泥棒みたいな娘をもって情けない、と泣きながら私を責めました。
「本当はびっくりして言葉が出なかったの」と言えなかった自分が情けなくてしかたがありませんでした。何度も「こんにちは」と言えたらよかったのにと悲しくなりました。
学校でも相変わらず先生に誤解をされ、自分の主張をできないまま4年生になりました。それまで一度も前に出て話すことも、手を挙げて答えることもしないままでした。
私の不安症は人前でしゃべること、先生や知らない人と話すこと、人前で字を書くことへの恐怖がひどくなっていました。
4年生になって担任がかわり、その先生が初めて私に「よしこは本当はいい子だよ」と言ってくれたことがありました。
私はそれまで自分は悪い子だ、嘘つきで、ずるい子で情けないだめな子だと信じていましたのでその先生に言われた言葉を聞いてとても驚きました。
母が何度も自分の人生の苦労話をするたび、私の中で母を何とかして幸せにしないといけないという気持ちがわきおこりました。でも私は母を悲しませてばかりいるのでつらくなってしまうのです。(今ならそれは母の境界線を越えているのだとわかります・・)9歳の私は、母を幸せにしよう・・と思う反面、こんなに苦しい私を理解してくれない母に憎しみを感じていて、そのジレンマや罪悪感で窒息しそうでした。その時期に先生と出会いました。
先生は大学を出たばかりで初めて担任のクラスを持ち、いつも子供の目線に立って話を聞いてくれるような人でした。
先生は私の話せないという症状を理解してくれた初めての人でした。
授業中、先生は手を上げるときに、分かっている人は手をパーで、分からない人はグーにしてグーの人には当てないというシステムを考えてくれました。
私は人生で初めて手をあげるということにチャレンジしました。
それがとても楽しかったです。
私はその先生のおかげで、だんだんクラスの人と話せるようになってきました。
それでも心の中にある、不安感は消えることはありませんでした。(つづく)